昭和54年05月06日  朝の御理解



 御理解 第4節
 「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言うことにそむかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。」

  金光大神あって、金光大神のご信心があって、私共が天地金乃神様から限りない、いわゆる無尽蔵のおかげに浴する事が出来れる。教えを頂ける道を教えて頂いたんです。ですから金光大神の言う事に背かぬようと言う事は、金光大神を大恩人として頂く。その大恩人の言われる事であるから、背かれんと言う所まで行かなければならないと思います。どんなにきつかろうが、どんなに苦しかろうが、大恩人の言われる事であるから背かれん。でないと、金光大神のおかげでと言う事にはならんのです。
 金光大神を、大恩人と分かっていないのです。けど金光大神のご信心によって、その教えによって、限りないおかげの頂けれる手立てを、こうして皆さん習っておるのです。だからそれを習わして頂いて、初めておかげを受けて、なるほど金光大神は、天地金乃神様から恩人と言われなさるが、私共氏子からも、大恩人であると言う事が分かるところまで、信心を頂く為にいよいよ本気で、金光大神の言う事に背かぬ様にと言うところが出来なければならんし。
 大恩人と分かったら、また背かれんと言う事になります。 最後の所に、「天地金乃神と言うおよばぬ、金光大神と助けてくれと言えば助けてやる」と、ね。実際はそう言う所が分からなくても、教えを守っていなくても、金光大神助けてくれ、助け下さいと言えば、いうなら信心がなかっても日頃は教えを守っていなかっても、おかげは下さってありますよね。助けて下さってある、助けてくれと言えば助けてやる。
 ない命も下さる。開けん道も開いて下さる。ですから金光大神の言う事に背かぬように、と言う様な信心が段々出来て来る様になるとこりゃもう、いわゆる限りないおかげの頂けれる手立てと言う事になります。ですから夢ここを疎かにしちゃならん。そして金光大神の教えと言うものが、どこが焦点かと言うと、賀心の世界である。金光大神の世界いわゆる和賀心の世界である。
 昨日一昨日でしたかね、壮年部会の時に、桜井先生の発表があった、娘さんが事故に遭われた。相手の車の事よりも、ただおかげを頂いたと言う事が一番に頭に閃いた。車の番号やら見とったか、どこの人じゃったかと言う事は全然なかった。ね。それが自分で有難いと話をなさった時に、末永先生が司会をしておりましたが、あっこれはほんにこの前の神愛会の日でしたかね、末永先生が司会しておりましたが、もうそれこそ正しく桜井先生の和賀心の世界ですなと言う風に言っとりました。
  もうほんと是が和賀心の世界ですよね。事故に遭うたどこの車じゃったろうか。どこの人じゃったろうか。先にお菓子箱のいっちょ貰わなければいかん。薬代の一つももらわないといかん思うからそう言う事です。すいませんうちの娘がちょろちょろしよるもんですからすいませんと、かえってそう言う様な気持ちなんです。和賀心の世界とはそう世界。 昨日の御理解から引用すると、それこそ商売仇のその事を祈らねばおられないという心、向こうからは反対に、商売仇のような悪人がきよってもです。
 その悪念を有難いよいうものに浄化して相手を祈るという。そういう心の世界こそ和賀心の世界です。ですからそういう和賀心の世界が自分の心に段々広がっていく手立てを私共は頂かなきゃならない。教えの手立ていわゆる合楽理念ではそこを、言うならば繰返し説くのです。金光大神助けてくれと言えば助けてやる、その前提として、金光大神の言う事に背かぬ様な生き方をしとれば、おかげを授けてやると仰られるけれども。私共は金光大神の言う事は聞いてはいない、参っておる拝んではおる。
 けれども教えは聞いてはいないけれども、言う事を聞いてはいな。拝んではいる。教えは聞いていないけど、言う事は聞いてはいないけれども。助けてくれと言えば助けてやる。だからそういう信心が何十年続いて来たから、これはお徳にはなろうとは思えない。和賀心の世界に住まれるとは思われない。いわゆる限りない無尽蔵の世界に繋がる。そういうおかげの頂けれる、手立てを教えて下さったのが金光大神である。
 その金光大神の言われる事には背かれん。金光大神の言われる事は、聞かずにはおれない、昨日といえば私共の心の中に、おかげの受けられない心、恨みつらみはもちろん憎むと言った様な心でもです。例えばそれこそ、わら人形に五寸釘と言う様な思いがきよるかもしれん、自分でもする様な事あるかもしれん。もうあの人からあんな事を言われた、これだけは忘れられん、いつかは言うて返さなければ、というのはもう五寸釘ともう同じ事です。悪念です。
 けれども昨日例えば、私が御神願に頂いて、わら人形を頂いて、次にそのわら人形が大坪の「大」とね「大」という字に変わっていく所を頂いてです、ね、そういう場合であっても、それを良い念良い神心言うなら和賀心を持って、受けて向こうに返してあげるような、そこに自他共に助かる、そこに和賀心の世界があるんだけれども、ね、そういうおかげを頂きたい。
 昨日ちょうど御理解の後に、むつやの信司郎さんがお参りしてみえて、あちらで御理解頂き終わられたから、私ここへ呼んでから話すんです。この人には私は大きゅうならんの、大きゅうならんのばっかりしか言わんのです。だから信司郎さん今日もまた大きゅうなる手立てば頂いたばい。例えばならあんた達の場合は、商売人同士もあろう。あんた方の場合は、時には兄弟同士の事ですらあるね、けれどもねそういう言うならば、悪念が起こった時にです、その悪念を和賀心に浄化して、それを返してあげれる。
 おかげを頂いたらもう神様が絶対、そのわら人形に五寸釘と言う様な、例えば思いを変えていったら、それが「大」の字になると言う事は、大きなおかげの受けものが出来ると仰るのだから、これは信司郎さんあなたどうでんこれは体得せなできんばい。あんたとにかく大きなる以外にはないばい、豊かになる以外にはないよ、美しゅうなる以外にはないばい、といつも大きくなると言う事についてだけ頂くんだから。
 今日は言うならばそういうわら人形が「大」の字に変わっていくほどしの、おかげと神様がはっきり教えて下さったんだから、神様の言われる事だから、これはもう守らにゃできんよと言うて、まぁ話した事でした。ね。ここはまあそこだけを、あの人の教導というものは、まあ私はそう思うんです。問題が起こってくると、あんたが汚なかけんばいと、問題が起こってくると、あんたがまあちっと大きゅうなりさえすりゃ問題が解決するよ、 もうこれだけしか言わんのです。
 信司郎さんに本当です。だから大きくなれる大きなおかげの頂けれる、言うなら手立てを言うならそのわら人形で頂いたから、ね、こりゃ神様が教えて下さるのだから、絶対ばいと。言うなら金光大神の言われる事にそむかぬように、と言う事を繰り返し、信司郎さんに言った訳ですけれども、これは信司郎さんだけじゃないでしょう。金光大神の言われることに背かぬように、私共の心から「あんやつが」と言った様な思いをなくさなきゃいけない。それこそ富永先生じゃないですけれども。
 それこそ自分が死ぬ前には、あんやつが頭にちょうなを打ち込んで、死なにゃ死なれんと、思うておったほどしでも、ならおかげは頂いてこられた。そういう信心でも。言うなら、金光大神、助けてくれと言やあ、助けてやるという働きがあった。けれども段々合楽にご縁を頂くようになって、一切が神愛と分かるようになったら、それこそ頭にちょうなでも打ち込みたいほどしの思いの人が、いいやあれは神様だったと分かってきたんです。あれが神様の仕打ちであったと分かってきた。。
 和賀心の世界、そういう言うならば、あり方がです、金光大神の言うことを聞く気にならんとそういう心が生まれてこないです。本当にですねもうそこにすっきりした、言うなら心とでも申しましょうか、それこそあの千の根を水で洗うたようにと、ね。心がすっきりする。事故に遭うて帰って来た、どこの人であったかどこの車じゃったか、というようなものではなくてです、はぁおかげ頂いた、このくらいでおかげ頂いて、もうおかげ頂いた、相手はそんな事全然、頭の中に浮かばなかった。ね。
 普通一般ならどうでしょうか、後から後遺症があるかもしれんから、ね、それこそ相手の手を握って放さんと、悪うなかったっちゃ悪かごと言うて、薬代のちっとでもせしめたいというのが、今の一般の世相の中にいっぱいあるようにですね。だから、そういう世界からもう少し清らかなそれこそ「山の水、浅く流れてみつばぜり」これ昨日一昨日頂いた御理解です。「山の水浅く流れてみつばぜり、それこそすっきりとする心、和賀心の世界に住む事を私共は手立てにするためには。
 金光大神の言われる事に背かぬように、という生き方。そしてならおかげを頂いてです、限りないおかげが頂けるようになったら、もうこれはです、ね、命の大恩人というか、ね、またはこういうおかげの、お徳の頂けれた大恩人は金光大神だから、金光大神の言われる事には背かれんと言う事になるのです。だからそれは言えんの、例えば金光大神の言われる事には、ね。本気で金光大神の教えに従う、忠実になるという、だからここだけは、ひとつ守らなければいけないよと。
 昨日のわら人形だの話なんかは、神様が直接私に教えて下さったのだから、その頂いた事を直接また皆さんに聞いて頂いたんだから、金光大神の言われる事です。それに背かぬように、はあ自分の心の中にはまあだこんな浅ましい心があったと、いう心を祓わして頂く手立てをです、心行に求める御理解の、言うなら合楽理念の実験をする、そしてそこに生まれてくる実証をしていかなければならないと言う事で御座います。
 いよいよ金光大神の言う事に背かぬようにしていければ、まさかの時には金光大神、天地金乃神と言わんでもいいと、神様助けて下さいと言えば助けてやると仰るが、私共は守らんでも、助けて頂いておると言う事実がありますけれども、それで終始する信者がどのくらい多いか分からないと言う事。金光大神の言う事を聞かんなりに、只おかげだけで、終っていく信者がどのくらい多いか分からない。それではいよいよ持って、神様にも相すまん。自分達もまたこんな馬鹿らしい事はないと言う事になるのですね。
   どうぞ。